七段飾り
「ひなまつり」 ご存じだろうか。
「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然としないが、その起源はいくつか存在する。平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。
いや細かい事はいいんですが。
私の生まれた家は、団地でした。3DKかな。
家族五人だとまあギリですね。
広くはない。
ところがそこには「七段飾りのひな人形フルセット」が収納されていたのだ。
私が3歳くらいまでは飾っていたような記憶があるが
それ以降はずっと眠っていた。らしい。
それが三十余年を経て、ついに堂々の復活!
それではご覧いただこう。
画像はこちら↓
ばば~ん

でかいよ!でかすぎるよ!
しかも誰も
ひな壇の組み方とか
人形の並び方とか
付属品の付け方とか
分からないときたもんだ。
…なんとか飾った…
それにしても
三歳の娘より、母親のほうが喜んでるな。
まあ母親のだし、母の誕生日は3/3だしw
子供の文化教育と思いきや、単に親孝行になったようだ。
まあいいか。
文化を守るというのはなかなかに大変なもののようだ。
「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然としないが、その起源はいくつか存在する。平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。
いや細かい事はいいんですが。
私の生まれた家は、団地でした。3DKかな。
家族五人だとまあギリですね。
広くはない。
ところがそこには「七段飾りのひな人形フルセット」が収納されていたのだ。
私が3歳くらいまでは飾っていたような記憶があるが
それ以降はずっと眠っていた。らしい。
それが三十余年を経て、ついに堂々の復活!
それではご覧いただこう。
画像はこちら↓
ばば~ん
でかいよ!でかすぎるよ!
しかも誰も
ひな壇の組み方とか
人形の並び方とか
付属品の付け方とか
分からないときたもんだ。
…なんとか飾った…
それにしても
三歳の娘より、母親のほうが喜んでるな。
まあ母親のだし、母の誕生日は3/3だしw
子供の文化教育と思いきや、単に親孝行になったようだ。
まあいいか。
文化を守るというのはなかなかに大変なもののようだ。